- 10話 -
定められた解放
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目次
~到来する自由意志~
某日……。
APCの特務棟内の食堂では……。
昼のランチタイムを過ぎると、この時間を皮切りに ある女性が表情を引き締める。
…………。
その女性は、天瀬真尋(アマセ マヒロ)……。
……管理栄養士として手腕を振るう 人物だ。
普段の恒常的な業務の他に、来る日の準備を急ぐ。
…………。
なんでも………、
これまでに 多大な被害を出したエイオスの、中核に該当する怪人との激戦に一区切りがついたとかで……。
一度は流れてしまった食事会の話が、C.E.Oからの賛同を 追い風にして再燃したからだ。
以前に、首をもたげた食事会は C.E.Oからの認可が 中々 下りなかった……。
そうこうしている内に、件の怪人との大きな奮戦が勃発してしまい、食事会どころでは無くなってしまったのだ。
…………。
実際の所……。
今回の戦闘処理での被害も大きく、本来ならば食事会等を 悠々と 行うような情勢では無い。
にも関わらず 今 この話が再燃した背景は 当然 存在する。
C.E.O とも 近しい兄の言葉を借りるならば……。
…………。
「 こんな時だから催す 必要があるんだ。
散発的に発生した非日常で、皆が 心身ともに疲れはてている……。
今後も……。益々、激しさを増す可能性が大きい現状を乗り切るには……。
一旦、これまで戦った 全ての職員に 労いの場を設ける必要が有る。
神地さん……。
C.E.Oは、以前 認可が間に合わなかった食事会をヒントに、そう考えたみたいだよ。 」
…………。
………という事らしい。
…………。
指示書に記載された催しの名前は、英結食事会……。
概要欄にも記載されている通りに、英気を養い結束を強める意味合いを、そのまま込められた力強い字体が印象的だった。
断片的に見れば、ニューヒキダの一部では 大変な状況に 見舞われた人も いる中で、
これに目を瞑り 自分達だけが 飲食を楽しむようで、罪悪感も感じるが……。
今後の事を考えると……。
英気を養うというか……。心身に元気を補充しなくては、どこかで心か身体が耐え切れずに潰れてしまう。
今回の催しは 豪華絢爛に行う 祝賀的なものでは無く……。
張り詰めた気分を揉み解すような方向性で、気持ちを切り替えられる食事会がコンセプトに成っている。
…………。
……。
食事会の規模も大々的とは言えない程度で、特務棟の職員のみが対象に成っていた。
…………。
噂では……。
今回の特務棟の食事会が、実証実験で ポジティブな結果をもたらした場合……。
APCの広報面を担う部署等が置かれた、特務棟とは別の社屋。
庶務棟での開催も考えられているらしい。
庶務棟は、記念館とも日常的に連携した催し等も行う 開けた部署が在る。
ニューヒキダの一部の区画を貸し切りにした地域のイベントとして開催する話も有りえるという事だ。
…………。
先の明るい青写真や背景があるのなら……。
食に携わる 1人の人間として絶対に成功に導きたい。
…………。
天瀬真尋は、心の内に刻み込んだ熱意を燃やす。
来る日の準備に気を引き締めて挑む為に 連日の準備に いそしんだ。
…………。
……。
時に食堂で働く多くのスタッフに助けられ……。
予算や食材の質に悩まされ……。
栄養バランスや、料理の品数や、アレルギー問題に頭を抱え……。
…………。
時に、さぼり癖の有る 油売りの壮年に釘を刺して……。ひたすら成功を目指して準備を進めていった。
…………。
食堂の開放時間が過ぎてからは……。
通常のランチ業務用の献立作りや、諸々の仕込み作業と並行して……。
……少しずつ少しずつ満足のいく水準へと近づける。
英結食事会の 2週間前にも成ると……。予算、食材、品数は本格的に決まっていた。
次は、当日の動きや スタッフに調理を割り振った時用のレシピ作り……。
……仕込みの分担等を中心に進める段階だ。
…………。
油売りの壮年も最近では少しずつ、油を売る回数が減っている。
キッチンカーの納車日が決まったらしく普段以上にテンションも高い。
この話題に触れると、話が永くなりそうなので極力触れないように過ごす。
…………。
……。
そして、ついに……。英結食事会 当日……。
…………。
……。
天瀬真尋と 食堂のスタッフは……。
ランチの 通常営業時間が過ぎた事を確認し、数時間後に迫る 英結食事会の準備に取り掛かる。
いよいよ この時が来たのだ。
…………。
普段ならば 些かサボり癖の有る 自称ニヒルなミドル……。巻健司(マキ ケンジ)も……。
珍しく、会の準備を能動的に行っており、
他のスッタフと 一緒に成って レイアウトの変更に取り掛かり、長机の移動を行う。
…………。
食堂内の中央には、長机を偶数で密着させて大皿を陳列できる島状に……。
壁側には 部屋の輪郭に沿うように配置して、ビュッフェ形式に動線を意識して……。
所々で 椅子に座って休めるようなエリアも幾つか分散させて用意していく。
…………。
レイアウトの準備に終わりが見えるタイミングに成ると……。
早めに窓を開放し換気を済ませる。
そして、しばらくして窓を閉めて、微細な埃すらも舞い上がっていない状況が仕上がると、
事前に仕込んでいた食材達を、予め決めた手順で調理していった。
…………。
ここからが食堂で働くスタッフ全員の腕の見せ所だ。
調理、盛り付け、配膳、洗い物等で 役割分担を行い、無駄の少ない立ち回りで万事、執り行われる。
…………。
天瀬真尋と 巻健司も……。
それぞれに、調理設備をフルに使って 食堂に空腹感を刺激する香りで満たす。
数時間に渡る食堂での奮戦は着実に進み……。
英結食事会の予定時刻には多くの料理が並んだ。
…………。
……。
会場の食堂内には 大多数の職員が参列し、立食形式の食事会が始まる。
出来立ての美味しい料理の数々と……。
適度な強さのアルコール飲料からノンアルコールのソフトドリンク……。
参加者は 楽しく舌鼓(したづつみ)をする。
味覚と香りで喜べる数々の料理が、これまでの多くの苦労を ほぐしているようだった。
…………。
会場内では耳心地の良いジャズが BGMとして選択されており、館内のスピーカーから静かに会場を包み込む。
…………。
……。
幾らかの時間が過ぎる……。
…………。
……。
思い思いに楽しんでいるせいか、会が始まったばかりの頃の 細かい内容を覚えている者は いない。
会が始まったばかりの頃……。
半ば様式美のように行われたは、神地聖正(カミチ キヨマサ)のスピーチだったのだが……。
細かな内容を忘れさせる原因は、恐らく この後の行動だろう。
…………。
気さくな壮年 神地聖正は……。
食事会の開始から 30分程で、酔いつぶれたのか姿を消していたのだ。
天瀬十一(アマセ トオイチ)が 連れ添っていた姿が目撃されたらしい……。
自分自身にとっての 適切な飲酒のペースを知らずに 退室したのならば、その衝撃は計り知れない。
…………。
……。
食事会が始まってから 1時間程が過ぎる……。
早めに休みたい者や、家庭を持つ者……。
様々な理由から、退室者がポツポツと表れる。
久しぶりの 和やかな空気だった。
参加時間の長短に関わらず、憩いの時間を見事に演出し 提供できたのだろう。
未だに雰囲気の変わらない空間は、誰が見ても 1つの催しとしての成功を証明したようだった。
…………。
……。
坊主頭の青年 丹内空護(タンナイ クウゴ)は、今しがた一段落が付いた所だった。
会が始まってからは……。
普段 ゆっくり会話できない開発側の人間に個別に挨拶に回っていたからだ。
どうにか 殆どの、職員に挨拶を済ませられた。
片手には、ノンアルコールカクテルが半分程 残ったグラスが握られている。
休憩がてらに野菜スティックを口に運んだ。
…………。
みずみずしい 人参をかじっていると……。
……丹内空護の見知った女性が 声を掛けてきた。
…………。
「 そのニンジン美味しいでしょ ? 」
…………。
話しかけたのは、天瀬真尋だった。
丹内空護は、野菜スティックの中でも ニンジンのスティックをリピートし続ける。
…………。
天瀬真尋は、何種類かの料理の補充と……。
退室した参加者の食器の下膳を行っているようだった。
キッチン用の 3段構造のキャリーカートを移動式の拠点にしては、仕事をしている。
…………。
閉会時刻まで後 1時間を切った会場は……。
和やかな空気を残しつつも、閑散とした場所も見え始める。
食堂で働く側にとっても 一段落がついたような 所だろうか。
…………。
今かじっている 人参を 1本食べ終えた頃合いで……。
丹内空護も、穏やかな気持ちで応答した。
…………。
「 美味しいよ。
その様子だと 忙しさのピークは過ぎたのか ? 」
「 今はね……。
もう少し したら最後のピークかな。 」
「 今回の食事会には、いろいろ頑張ってたんだって ?
十一から聞いてるよ。ありがとう。
お陰で 皆の表情が 大分良くなった。 」
「 いいよ。いいよ。
それ、先週も食堂のスタッフ全員に言ってたでしょ ?
本当に昔から、律儀で真面目だね。
お兄ちゃん なんかと真逆っていうか。 」
「 十一は俺よりも出来る事が 多い奴だからな。
そりゃ違うさ。
俺は あいつみたいに 器用じゃないから、
自分に出来る事をやるだけだよ。 」
「 そういうとこ。 」
…………。
何気ない世間話から……。
昔の話へと発展していく。
まだ、天瀬十一も交えて 3人での交流が有った 学生時代頃の話だ。
…………。
天瀬真尋も、下膳中の食器が乗ったトレーを、キャリーカートに置いて思いで話に入り込む……。
このまま盛り上がるだけに見えるが、何かを思った 丹内空護によって 待ったが 掛けられる。
…………。
天瀬真尋は、久しぶりに身近な距離感を取り戻した気でいたのだろう。
丹内空護の見知らぬ顔に言葉をしまい込んだようで……。
様子を伺うと調子を合わせた。
…………。
「 ごめん 真尋ちゃん。
そういえば 挨拶回りの途中だったんだ。
懐かしくて話し込んでしまった。
悪いけど そろそろ行くよ。 」
「 こっちこそ ごめんなさい。
忙しいのに、話しかけちゃって……。
でも楽しかった。いってらっしゃい。 」
…………。
天瀬真尋は、名残惜しさを 出来るだけ隠したのか……。
丹内空護の背中を柔らかい笑顔で見送った。
…………。
……。
丹内空護が、天瀬真尋に背中を向けて食事会の会場から退室していく。
そんな一部始終を……。
話し声すらも聞こえない位の距離から遠巻きに傍観した人物がいたようで……。
この人物は、同じ光景を見ていた筈の青年に話題をふった。
話題をふった 人物は、巻健司である。
…………。
巻健司は……。その青年と……。
同年代の友人のような距離感と、親子のような年齢の差を持ち合わせる。
馬の合う珍妙な 2人組みは、軽快なリズムで言葉のラリーを繰り広げていく。
…………。
「 今の見たか ?要人。
たぶん最大のライバル……。
お前のとこの 班長が どこかにいったぞ。 」
「 空護さんは、忙しいですからねぇ。
なんか挨拶したり、いろいろ 動いてる みたいですよ ? 」
「 ……模範的な班長だな。
お前は しなくても 良いのかよ ? 」
「 俺は良いですよ。
だって今日は、社長も酔いつぶれる無礼講でしょ ?
美味しい料理と時間を堪能しなきゃ。
……このナシゴレン最高ぉ。 」
「 真尋ちゃん の 事も良いのか ?
今日は折角の食事会だ。
普段よりも話しかけやすいん じゃないか ? 」
…………。
青年 有馬要人(アリマ カナト)は、巻健司からの圧力を受ける。
不自然にも食が進んだ。
取り皿が カラ に成る前から 次の料理を次々と足していき、忙しさをアピールする。
わざとらしく速い感覚で 口の中に料理を放り込んでいった。
…………。
かといって 味覚を疎かにしているわけではないらしく……。
驚異的な速度の租借(そしゃく)と嚥下(えんげ)で、迅速に早食いを繰り返す。
…………。
「 ……このナシゴレン最高ぉぉ。パート 2ぅ。 」
…………。
どこか ぎこちない恍惚とした表情は 取り繕ったように作為的だ。
料理を かきこんでから 飲みこむまでの工程に没頭している。
少なくとも、巻健司からは そういった具合に見えたのだろう。
根幹を引きずりだすように、一石を投じた。
…………。
「 お前、さては……。ビビってるだろ ? 」
「 アクアパッツァもレベル高いですねぇ !!
いやぁ !!……本当に !! 」
「 ……図星だな ?
美味しく食べてくれるのは嬉しい。けどな……。
お前も逝ってこい !!
自分の気持ちに蓋して一番 困るのは お前だぞ。 」
…………。
青年 有馬要人は、年の離れた友人から 強引に促されて逃げ場を失った。
物理的にも背中を押されると、これを起点に得意の見切り発車で 女性の近くまで躍り出る。
…………。
恋する難民の中央突破である……。
…………。
青年の片手には、未だに 何種類もの料理が乗った取り皿が乗っていた。
もう反対の手に握られたグラスには 軽めの度数のアルコール飲料が 何口分か残されている。
勢いのままに……。
慣性の法則に従って……。
…………。
青年 有馬要人は 躍り出る……。
…………。
酔いが回るような 覚めるような感覚の中間で、脳内から必死に言葉を絞り出した。
…………。
「 真尋ちゃん。今日の料理どれも美味しいよ。
……っと。あー。元気 ? 」
「 こんばんは 要人さん。
お口に合うようで良かったです。 」
…………。
青年屈指の掴みで 会話を切り出すが、想定していた流れには成らない。
女性は 笑顔で言葉を返してくれるが……。
どうも会話の流れに手応えを感じられず、自分の言動が正解か不正解なのか まったく読み取れない。
…………。
青年は……。
自分の脳を、雑巾絞りするような感覚で正解を模索し、ある可能性に辿り着く……。
…………。
……。
いつの日かの ある日、巻健司が言っていた……。
相手が頑張った分野を褒めると……。喜ばれる……。
これだ !!これしかない !!
…………。
……。
有馬要人は、頭の中に浮かんだ英知で、正面突破からの変化球を試みる。
成功必定の奇策だ。
そこから 更なる掴みで会話のイニシアティブを狙う……。起死回生のシンプルな筋書きである。
王道を行け !!自分 !!うん 行く !!
…………。
手始めに……。
これから行う言動に説得力を持たせるのも良いだろう。
女性が補充したばかりの野菜スティックから、無作為に選び出した何本かを口に放り込む。
…………。
「 真尋ちゃんの料理はどれも最高だよ。ハハッ。
例えば SO !!
……このニンジンとか セロリも 凄く美味しいし。
やめられないね ☆ 」
「 ありがとうございます。
もしかして 要人さん 酔っぱらてます ?
あまり お酒 飲みすぎちゃダメですよ ?
ごゆっくり。 」
…………。
青年の奮闘は普段とは異なるテンションが裏目に出て綺麗に避けられる。
奇襲は無味無臭で終わった。
可もなく不可も無く一定の距離感をキープしたと言い換えるべきか……。
青年は、今日も そこから脱出できない。
女性が 厨房の奥に戻っていく姿を見送るしかできない。
厨房用のキャリーカートに乗せられた 食器よりも、離れた距離から脱出できないのだ。
…………。
生野菜スティックが少しだけ塩辛いような、味が無いような不思議な感覚をだった。
いや味は とても美味しい。
………………。
…………。
……。
~青空の下で見る夢~
特務開発部内の A.O’s(エイオス)研究課では……。
白衣の似合う女性が 1人、自身のデスクで作業を進める。
…………。
今日は特務棟で働く全ての人間を対象に、食事会が催されているようだが……。
最近の睡眠不足のせいか、どうしても気分が進まない。
何かを払拭しようと仕事に打ち込んでいる方が楽だった。
…………。
約 19年前に起こった大災害……。もう そろそろ それくらいに成る。
22災害と呼ばれた怪人の出現によって、身寄りが無くなってからは……。
……人間関係の構築には気が引けてしまう。
孤児として施設で育ち、友達らしい友達も作らないで ここまで きてしまった気がする。
…………。
……。
施設では……。
生き物の図鑑や 共用のパソコンで時間を紛らわした。
義務教育を終えた頃には 施設を離れる目的で 1人暮らし用の 部屋を借りた……。
相続した財産の一部を使い 部屋を借りて、バイトをしながら学費の安い国立の高校に通った。
…………。
それからは誰とも関らなくても良いように、勉強とバイトを使い分けて隙を埋めて……。
気が付けば現在の会社から声がかかり特務で働く毎日を過ごす。
結果を出せば、深い人間関係を作らなくても居場所が脅かされる様子は無い。
ありがたい事だ。
…………。
今日は何人かの同僚から 仕事を引き受けて、朗らかな催しに参加しない理由と反論されない恩を手に入れた。
打算的だが適度にタスクをこなして 時間を潰したら帰っても文句は言われないだろう。
…………。
……。
白衣の似合う女性の無意識が そんな風に思案していると……。
聴き慣れた声に話しかけられる。
誰かは 普段から仕事の都合上話す機会の少なくない人物で……。
普段は首からスポーツタオルを下げている姿が印象的な人物だった。
今日は食事会にも参加していた筈で、そのせいか服装もフォーマルな装いに成っている。
…………。
「 こんな日も 1人で残業か ? 」
…………。
丹内空護は 少し離れたところから 声をかけると、意識が向いた事を認識したらしく 歩き出す。
特務開発部内フロアの一角で 黙々と デスクワークを進める 夢川結衣の元に……。
白衣の似合う女性も、程なくして デスクワークの手を緩めて来訪者との会話に気持ちを向ける。
…………。
静まり返ったフロア内で緩やかに言葉を交わしていった……。
声を張り上げなくても聞こえる距離まで 2人の距離は近づいている。
…………。
「 こんばんは 丹内さん。
急ぎの用事ですか ?
まだ 40分程は 英結食事会の予定時間が残っていると認識していましたが。 」
「 用事か……。確かに意味合いとしては嘘ではないな。
どうしても言いたい事があってな。 」
「 ……言いたい事 ?
なんでしょうか ? 」
「 いつも助かってるよ。
ありがとう 夢川。 」
「 ……はい。……え ?
まさか……。それが要件では無いですよね ? 」
「 いや ?これが要件だ。
どうしたんだ ? 」
…………。
単刀直入に……。
何の脈絡も無く 本題と思われるものを発せられて、白衣の似合う女性は 数秒間面を食らう。
…………。
最近疲れているからなのか 寝不足が続いているからなのか……。
こんな言葉が飛んでくるとは思っておらず耳を疑った。
…………。
何かしらの いつもの要件だと思っていたのだ。
戦闘処理に直接連なる話題を、急ぎで伝えに来たものかと……。
あたり を つけていた手前、返す言葉が上手く思い浮かばない。
……付け焼刃で内容の薄い言葉しか返せなかった。
…………。
混雑した日中なら……。
相手が元から冗談好きな人間なら、適度に聞き流せるが……。
静かなフロアで明確に自分宛ての言葉で聞こえてしまった。
…………。
何も特別な内容では無いのだろうが、こういったやり取りは距離感が苦手で 沈黙が永くなってしまう。
…………。
……。
デスクワークを進めるキーボードを打つ音も止まり、時計の秒針だけが耳に届いた。
これを断ち切ったのは……。
丹内空護で 本題の補足を加える。
…………。
「 本当は会場で伝えようと思ったんだが……。
迷惑だったら すまん。 」
「 ………。 」
…………。
丹内空護は特に何かを気にする様子も無い……。
裏表のない言動で 更に補足を付け足していき、本心から思っているであろう事を開示する。
まるで……。
嘘や算段が見えない……。
白衣の似合う女性 夢川結衣に安心感を覚えさせていたが、
心の底の本心に反して懐疑的な印象を膨らませてしまう。
…………。
「 俺が 今こうしていられるのも、無理を飲み込んでくれる 夢川達の お陰だからな。
こういう日だ、感謝の気持ちは伝えておきたかった。
……特務で助けてくれる人がいる。
だから、俺は どんな相手にも挑んでいけるんだ。
今までも、そして これからもな。 」
「 流石、英雄として 名高い戦馬車のアルバチャスですね。
ですが そういうのは……。
相手と場を選んで言うべきだと思います。
……仮に意図しなかったとしても、いつか誰かに怨まれますよ ? 」
…………。
迂闊だった。
…………。
聞き流して当たり障りのない言葉を返せば良かったのだ……。
殆どの人間は好きなように満足して深入りする事も無く円滑に済む筈だった。
執拗に距離感を近づける相手には、厳しく当たれば適当な所からは近づいてこない筈……。
にも関わらず……。
何故か尾を引く嫌味ったらしい棘の有る言い方をしてしまった気がした。
自分の言葉が自身とは かけ離れた、浮ついた歪みのように感じる。
…………。
丹内空護は、白衣の女性の言葉に、どうも合点が いかないのだろう。
…………。
「 ……ん ?
話が見えないが俺が原因なら、その時は全て受け止めるさ。
心配してくれるのか ?
優しんだな。 」
「 ……あの。 」
…………。
やっと言葉を吐き出すが……。
やはり途中から先がまとまらない。
不要な何かを決壊させそうになってしまう。
…………。
きっと、本心は……。
只の日常的な何でもないもの だろう。
最近の疲れや寝不足が原因だ……。
この程度で何かを期待して……。錯覚をしているようで……。どうも調子が出ないままだ。
今までは 感じる事は無かったが 何故か……。
凄く懐かしいような感覚すら覚える。
後ろ髪を引かれているようで、今の自分は平常では無い事は判断できる。
…………。
「 どうした ?
あっ、そうか。すまん。差し入れに……。
なんか簡単な食べ物でも 持ってくれば良かったな。
こんな時間に 気が利かなかった。
今……。手元に有るのは、こいつだけなんだ。 」
…………。
丹内空護は、スーツの内側のポケットから ある物を取り出した。
気が向いたら食べてくれと 言わんばかりに、夢川結衣のデスクに それが並べられる。
……携行食の プロティン レーション苺味と、あけび味だった。
…………。
何種類かの バリエーションの中でも、
現品在庫が少ない部類に含まれる未開封のカロリーバーは、今現在の最大限の誠意なのだろう。
夢川結衣は、数秒の間を経て、さっきよりは大分 気楽に成った気がして口を開く。
ぶれない男の心根に、過剰な感覚を覚えないようにと知覚して、念押しの言葉を精一杯にまとめる。
…………。
「 ……結構です。特に気にしてませんから。 」
「 遠慮しないでくれ。今度、何か埋め合わせはするよ。 」
「 ……………。本当にお構いなく。 」
…………。
この後も言葉を荒げることなく続いた押し問答が平行線で進んだ。
…………。
半ば押し負けたような気がしながらも 了承し……。
丹内空護を食事会の会場に戻るように促す。
…………。
白衣の似合う女性は、再び静まり返った空間を取り戻すと、普段以上に心を静めて残りの仕事だけに打ち込んだ。
………………。
…………。
……。
~約束された将来~
ある日の社長室では……。
神地聖正が 天瀬十一を相手に、最近の特務の主だった業務についての確認を行っていた。
…………。
以前ならば 特務開発部 部長である天瀬慎一(アマセ シンイチ)を仲介して行っていたが……。
天瀬十一に 懸念事項を共有してからは、今日の ような状況は増えていた。
極々 最近の 日常的な景色なのだ。
…………。
「 さて……。十一 君。
進捗に ついて教えてくれるかな ? 」
「 今の所、順調です。
そんなに遠くない内にテスト用の 1つは実戦試験に移れると思います。 」
「 流石だ。
バベル用にデバイスを預けて正解だったな。
……慎一の事も有る。
実戦試験は 秘密裏に頼む。
適合者の候補はこちらで用意しよう。 」
「 承知しました。 」
…………。
神地聖正の示唆する 懸念とは……。
天瀬慎一が 何らかの形でエイオスと通じている可能性のようで……。
これについては、息子である天瀬十一すらも 驚愕したものだった。
…………。
人類にとっての最後の砦に成りつつある アルバチャスの開発過程も……。
怪人の謎を照らす一端の話も、神地聖正から開示される多くの事が ニューヒキダを取り巻く事象への説得力を持っていた。
…………。
白衣の青年 天瀬十一からしても……。
父である天瀬慎一の言動には 未開な部分が多く、懸念を手放しで否定するには至らない。
そして何よりも、記憶に新しいのは有馬要人との関係である。
…………。
話によれば……。
未完成の まま凍結された 初期型の アルバチャス起動端末を 改修する為に……。code-0-を仕上げたのだとか。
再度、凍結の話も上がったのだが……。
これを寸前には完成させて、APCとは完全に無関係な 外部の人間が扱える状態に仕上げている。
以前の食堂での行動もある。
察するに……。
Device Error Factorと命名された端末は、一時的にだがアルバチャスの起動条件を妨げていたのだろう。
更に 経歴に謎の多い青年と、その青年だけが適性を持つアルバチャス……。
何らかの目的を持って、一連の行動を取っているのであれば……。
…………。
これまでの出来事を整理する 白衣の青年に、神地聖正が 話題を変えて 意見を求めた。
話題に関連した 参考資料として、社長室内のモニターの映像を切り替える。
…………。
「 ……ところで 十一 君。
これを見て どう思うか、今日は意見を まとめてきてくれたかな ? 」
…………。
映像は、アルバチャスと マーヘレスとの戦いの一幕のようだった。
天瀬十一が 戦線に加わる少し前の様子である。
四目の皇帝と、code-0-として戦う有馬要人が鍔競り合いを行っており……。
大格差や根本的な腕力の差によって、押し負けて窮地に陥っている時の ものだ。
…………。
有馬要人が完全に競り負けて……。
マーヘレスの長剣の圧力に耐えられなくなった瞬間、アルバチャスに組み込まれていない現象が発生する。
…………。
丹内空護のアルバチャス、code-7-が……。
瞬間移動でもしたかのように 鍔競り合いが行われていた位置まで移動した。
それだけに留まらず、長身の巨躯を持つ マーヘレスが吹き飛ばされて、長剣も粉砕されているのだ。
…………。
この映像の次には、数秒足らずで明確には視認できない現象をスロー再生した映像が映される。
…………。
そこには、たったの 1秒間だけでは あるものの……。
急加速して、猛襲を仕掛ける code-7-の姿が映し出されていたのだ。
前後の様子からは 当時の 2人が意図して行ったようには見えないが……。
開発課が携わった機構でない事も明らかで、何度見ても 1つの予測に帰結してしまう。
…………。
「 あまり 考えたくは有りませんが……。
アルバチャスには 前提として、未知の仕掛けがるのかもしれません。
現状の定期メンテナンスでは 特に何も見つかってはいないので、確証は有りませんが……。
それを知っているのは、もしかしたら……。 」
「 例の……。
Device Error Factorを用意した人物……。
なのかも知れないな……。 」
…………。
白衣の青年が 映像について、数日越しの意見を述べる。
これを踏まえて 取りうる対策と今後の方針をすり合わせていく。
…………。
「 はい。
ですが、仮にエイオスとの繋がりが有ったとしても、何か引っかかります。
例えば code-7-は D.E.Fが使用されていません。 」
「 安直だが……。こういう考えは どうだろう ?
systemの挙動を狂わせた不意な暴走が伝播した。
もしくは、code-0-の周囲のアルバチャスを狂わせる機能……。といった所か。
可能性を上げれば、幾つか有るが未然に防げるなら対策は出来るのではないかな ? 」
「 そうであれば……。
次世代型の導入は前倒しにして、工程を見直す必要が出てきましたね。
エヌ・ゼルプトに対抗する戦力は、大いに越した事は無いですから……。
バベルの使用も最小に控えて 開発に専念する方向でも よろしいでしょうか。 」
「 十一 君が そう思うのであれば……。
スケジュールに関しては一任しよう。
-0-と-7-の定期調査も怠るわけには いかないが大丈夫かね ? 」
…………。
神地聖正は、既存のタスクとのバランスを気にかけるが……。
白衣の青年 天瀬十一は、力強く問題が無い旨を伝えると、程なくして社長室を後にした。
…………。
社長室では……。
モニターに映されているデータが、次世代のアルバチャスに関するデータ資料に切り替わる。
…………。
「 だいぶ、前進したか。……後、少しだな。 」
…………。
神地聖正が それだけ呟くと、慣れた様子で秘蔵の工芸茶を収納から取り出す。
ティーブレイクに使用されるカップは白を基調にしており……。
金色と赤色の装飾が全体を彩り、底部には規則正しい形状の太陽の絵柄が目立つ。
少し時間が経過すると 満たされたカップと太陽は 温度を上げていった。
………………。
…………。
……。
~ある 1つの転換点~
英結食事会が催された日の深夜……。
会も数時間前に終わり、日付の境界が近づく……。
夢川結衣は、いつもより早い時間に自宅で くつろいだ。
…………。
1人暮らしには 適度な大きさのミニテーブルで、静かに珈琲を飲んでいる。
この日は特に就寝への恐怖心が強い……。
どうしても眠りたくはなかった。
……原因は最近の避けられない悪夢である。
…………。
この事象に ついての片鱗を話す機会が有った時に……。
丹内空護には 内容は覚えていないとは言ったが アレは嘘だ。
実際には 早朝……。
腫れあがった瞼で目を覚ます程 悪夢の内容は色濃く記憶に残っており、悪夢を見る頻度は日に日に増していく。
…………。
……。
悪夢の内容も毎回 殆ど同じで……。
日毎に増える 異なる差異が、特に恐ろしく 睡眠を嫌悪する要因に成っていた。
…………。
……。
眠りに落ちた時……。
いつも体感するのは視界に広がる荒れ果てた日樹田の街並み。
それを助長する数々のピップコートと呼称される怪人達。
…………。
空にはナイト型が、陸上にはペイジ型が ひしめいては所々で街を壊し……。命を奪っている。
…………。
耳が断末魔を環境音として認めて聞き流し……。
目は あらゆる惨状を映し慣れて 視界の中にピンボケした景色を増やしていく。
……鼻腔や口腔は不純物だらけの空気で乾き、喉には 熱せられた酸素を実感させる。
息を切らすのも忘れる程 必死に逃げ回る。
逃げ場なんて わからない。
…………。
いつしか 脚も血だらけに成るが……。
痛覚を気にしてられない差し迫った状況は、五感の全てに不快な現状を知らせており……。
……少しでも遠くに走るように促す。
五感の全てを疑いたくなる非現実的な現実は、感情を起伏の少ない平坦な状態へと誘う。
…………。
……。
神秘的な青白い光の粒子と、赤々と街を燃やす炎から逃げると……。
必ず遊び慣れた川沿いの土手に辿り着いてしまう。
ここは懐かしくも恐ろしい。
…………。
いつもなら……。
親しい 誰かとよく遊びまわった楽しい場所だった気がするが……。
今となっては 誰かの顔も、声も、名前すらも思い出せなくなってしまった。
災禍から逃れたい一心で、逃げ着いた時から恐ろしい感情が優先される。
…………。
……。
ここには……。人ではない翼を持つ何かが存在した。
悪夢は日に日に鮮明に成っていき……。
……これに加えて最近はどんなに嫌悪しようとも、連日見る過去の出来事から逃げられない。
今は どちらが現実なのかの判断に困る時すらある。
22災害 当時の自分自身の追体験は、
夢だと気が付いても身体が眼を覚ます事は無く、必ず早朝の 5時まで続けられる。
…………。
……。
眠りたくない。
眠りたくない。
……眠りたく……。ない。
…………。……もう 嫌だ。
…………。
……。
夢川結衣は 意識を消失して突っ伏してしまう。
先程まで手に持っていたマグカップは、力なく転倒し飲み残された珈琲が流れ出る。
…………。
流れ出た珈琲は……。
時間の経過に沿って 白いラグマットに黒点を作っていく。
…………。
連日の悪夢に苦しみ……。限界を超えて精神をすり減らした女性の周りには……。
白色の羽根と黒色の羽根が どこからともなく舞い降りていた。
…………。
2種類の羽根は床に届く間近でアルカナの光へと分解されて霧散し……。
青白い光の粒子は幽かに漂い女性の身体へと集約される。
…………。
……。
夜は深まっていき……。
この日を境に……。
夢川結衣が、特務棟に姿を見せる事は無かった。
………………。
…………。
……。
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